ON CAMPUS - IN CONVERSATION WITH BRITTANY BATHGATE

クリーム色のリネンのトレンチコート。その着こなし方を知りたい人にこそ、このストーリーを読んで欲しい。今回、In Conversation シリーズで取り上げるデジタルクリエイターのブリタニー・バスゲートは、青春を謳歌する現世代が、定番のワードローブの「トレンチコート」をどう捉えるのか、その認識をおそらくたった一人で変えてしまった強者です。ブリタニーによって古いトラディッショナルなアイテムから、タイムレスで必要不可欠なものへと生まれ変わったトレンチコート。スタジオニコルソンのHolinトレンチを難なく羽織り、ノーブラでサテンのMaleboスリップドレスに体を通したブリタニーは、今回のインタビューの舞台となる、ロンドンの北東部に位置するノリッジの街をゆっくりと歩きます。その隙のない姿を見て、私は彼女が引き起こした様々な意識の改革を改めて実感することになりました。

多くの女性のように、私も何年もかけてインスタグラムで彼女を「フォロー」してきたひとり。彼女のスタイルが徐々に発展していくのを見守りながら、定期的に更新されるソーシャルメディアでブリタニーがシェアする休日のとびきり素敵な宿に、正直嫉妬を覚えることもありました。彼女が自身のウェーブヘアの扱い方について解説した動画投稿には、同じ難題を抱える私も、妙に救われた気持ちになったことも記憶しています。そんな私が、画面越しの彼女が実際にはどんな人なのか関心があったので、In Conversation Withシリーズに彼女を招待し、いつものようにインタビューの場所をブリタニー自身に指定してもらいました。

それから数週間後、カメラマンのジュヌヴィエーヴと私は、イースト・アングリア大学のキャンパス内にあるギャラリー、セインズベリー・センターに車を着けていました。ギャラリーのホワイエに入り、ノーマン・フォスター建築の素晴らしさを堪能しようと首をかしげると、笑顔のブリタニーが私たちの視界に入ってきました。はじめましての挨拶もそこそこに、食事の時間になったのでセンター内の洒落たカフェへ。彼女はランチに何を食べるの?という読者の心の声が聞こえてきそうですが、実はベイクド・ヘイク(白身魚のオーブン焼き)が大好きだというブリタニー。ヘイクのアレンジプレートを彼女と堪能しながら、打ち解けあう流れとなりました。

"ビジュアル・マーチャンダイジングは、私が実は優れたビジュアルコミュニケーターであることを私自身に教えてくれました。単純なことのように聞こえるでしょう?でも、この時自分の特性をしっかりと把握したことは私にとって、特に今の仕事を進めるにあたって大いに役立っています。"

私たちはそこで、読者を驚かせる(そしてもしかしたら喜ばせる)ような、新たな事実をブリタニーから引き出すことに成功しました。彼女にとって生まれてはじめての「憧れの女性像」について質問をしたところ、爆弾のような答えが返ってきました。読者の皆さんは、それはフレンチアイコンのジェーン・バーキンだと思いますか?あるいは映画『アニー・ホール』で見せたような、アメリカンマニッシュなスタイルを今でも貫くタイムレスなアイコン、ダイアン・キートンでしょうか?はたまたクリーンでシックなルックが、かつて一世を風靡した作家のジョーン・ディディオンでしょうか?いいえ!彼女の答えはなんと、レザー・チャップス(乗馬用牛革上履きズボン)を履きこなすポップ界の小悪魔、クリスティーナ・アギレラだったんです。ミス・バスゲートは、驚く私たちを尻目にこう打ち明けてくれました「そう、実は私はクリスティーナ組でした!当時は競合のポップスター、ブリトニー・スピアーズも好きだったけど、クリスティーナが特に当時の私の好みでした。私の最初のMSNメールアドレスも彼女へのオマージュとして作ったほど、クリスティーナ一筋だったという確かな記憶があります。」

「当時私は内気で、日常の出来事全てに戸惑いを感じながら、多感な日々をハイスクールで過ごしていました。そんなティーンエイジャーの私は、ブリトニーやクリスティーナのような若いエネルギーに満ち溢れたポップのアイコンが爆発的に活躍する姿に、夢中になりました。クリスティーナは、その独特な態度や、彼女自身が発する強いエネルギー、歌い方、体の使い方、踊り方などで、当時とても注目されていました。私が当時彼女から受けた影響は、良いものなのか悪いものなのか未だにわかりませんが、中毒かのごとく私は彼女から目を離すことができなかったし、彼女の音楽を聴かずにはいられませんでした」。そして、かのアギレラの後に続いたのは、こちらもポップの女王アヴリル・ラヴィーンです。ブリタニーいわく、それは「まだその当時、私が経験したことのなかった、EMO期(感情的な時期)の最初の兆候 」だったようです。ポップ界のアイコン達が着こなすバギージーンズや、スケートトレーナー、だらしないTシャツなどが、ブリタニーが現在の彼女らしいサルトリアルへ進化を辿るための、はじめの一歩だったと言えるでしょう。

イングランド南部のソールズベリーで生まれたブリタニーは、今回のインタビューの舞台として選ばれたノリッチでビジュアル・アートの学位を取得しました。大学での勉強は良い経験となったものの、ここで得た学位をポケットに、どのように自身のスキルを形にすれば良いのか当時はわからなかった、と言うブリタニー。「アートスクールを卒業したときは、その先の進む道がわからないまま、現実の世界に放り出されたような気分でした。生計を立てつつ、同時にアーティストとして成功するのは大変なことでしたが、そんな私に当時扉を開いてくれたのが、ファッションリテールでした。この業界では、出世するのも比較的容易で、自分に合った多様なポジションを見つけることもできます。その中でも特にビジュアル・マーチャンダイジングに、この業界で私が創造的な息抜きをできる、ささやかな可能性を感じました。」

私は大学時代から、言葉を介したコミュニケーションは得意ではありませんでしたし、そんな自分に自信が持てませんでした。その一方で、ビジュアル・マーチャンダイジングは、私が実は優れたビジュアルコミュニケーターであることを私自身に教えてくれました。単純なことのように聞こえるでしょう?でも、この時自分の特性をしっかりと把握したことは私にとって、特に今の仕事を進めるにあたって大いに役立っています。私の頭の中にある形になる前のもやもやとしたアイデアは時に、単に自分が混乱しているかのように感じることがあります。私にとってそれらを整理して引き出す最善の方法は、ムードボードであれ、彫刻であれ、商品のディスプレイであれ、物理的な視覚的要素を作り出すこと。そういったプロセスを経て、はじめて私は何かを主張できるんです。」

"私が大好きなアートやデザインは、私が選ぶ服にも反映されています。"

その秀でた才能を発揮し、ビジュアルのアウトプットが重要なデジタル・クリエイションの分野でキャリアを切り開いたブリタニー。彼女のYouTubeチャンネルをクリックすると、ブリタニー・ファンによる長いコメントストリームが表示されます。彼女のインスタのフィードは、力強く一貫した美学を見せていますし、キュレーションされた意識の流れも感じます。カメラマンのジュヌヴィエーヴがブリタニーのベストショットを撮るために、何度も何度も階段の上り下りを私たちに要求するなか、ブリタニーと私は幼少期の頃の思い出話や、兄弟との関係性、お互いの地元のパブでの簡単な平日の夜食がどれほど好きかなどについて、気楽に語り合いました。ネット上では冷静沈着な印象のブリタニーですが、実際に会ってみると強いカリスマ性があり、どこか生意気で、とても賢い人でした。

自身と衣服との関係性について尋ねられると、彼女はこう答えました。「私にとって、服は誰かと会話を始めるための、都合の良いものです。「こんにちは、私はここにいます!」と他者に伝える手段であって、私の興味関心を人へ伝えるための道具でもあります。私は学生時代、ひどく内気でした。自分に自信がなく、クラスの皆の前で話すのがとても怖かった。自ら手を挙げることはありませんでしたし、仲間内でも一番静かな子でした。ただそれは、言いたいことがなかったわけではなくて、話したいことは山ほどあったのですが、それをどう伝えれば良いのかわからなかっただけなんです。そして、そういう状況がますます私を麻痺させていきました。」

「年齢を重ねるにつれて、私は自分に自信を持てるようになりましたが、未だに言葉で自分を表現することに苦労します。どこへ行っても、今でも私は一番口数が少なく、静か。良くないこととは認識つつ、自問自答しがら思い悩むことも多いです。でも私は、今あなたとこうして話しているように、自分が実際におしゃべりをすれば、楽しくて面白い人間なのだと信じています。また、イメージや形を介せば私を理解することは容易です。私が大好きなアートやデザインは、私が選ぶ服にも反映されています。日々の仕事で、ノリッチとは大きく異なる印象の都市に出向くことも多いので、当然、そうした場所から受けたインスピレーションも私のスタイルに投影されます。そういった感性が、今私が住む小さな街とのミスマッチ感や断絶感としてスタイルに立ち現れてくるのではないかと思います。代わり映えしない小都市的な着こなしに陥るのを防げているのは、おそらく沢山出歩く機会があるおかげだと思います。」

インタビューも終盤に差し掛かり、最後に何カットか撮り納めるため、ブリタニーは自らあまり目立たない素朴な壁の前に立ちました。彼女の優れた背景を観る眼は、確かです。ブリタニーは10代の頃、このUEA(イースト・アングリア大学)のキャンパス内でパーティーを企画したり、お酒を楽しんだりして沢山の時間を過ごしてきました。そして、ロックダウンの間、UEAのキャンパスは歩いたり走ったりする場として、彼女を支えてきました。広大な敷地に慣れ親しんだブリタニーとここで過ごした午後は、写真撮影のロケ地というより、むしろガイドツアーを堪能するような、楽しいひと時としてあっという間に過ぎて行きました。ロンドンに引っ越したいと思ったことはないか、と私が尋ねると彼女は一瞬鼻をくしゃっとさせながら、「ノリッジは鉄道の終着駅。だから、さらに遠くへ行くためにここを経由する人は少ないんです。ノリッジを含む東部のノーフォーク州は他の地域とのつながりがあまり強くないので、その結果、ここの人たちはノーフォークを自立した素晴らしい、バブルで守られたような場所にしたいと思っているんです。だからここでは独立系のビジネスやイベント、プロジェクトなどに対するサポートがとても充実しています。私は常々、自分は小さな都市に住む人間だと言っていますが、まさにノリッジは私にとってちょうど良い、必要十分な場所。この素晴らしい環境こそ、私がずっとここに引きつけられる理由です」。

着用:HOLIN COATED COTTON COAT IN LINEN, MALEBO DRESS IN PARCHMENT and DONOVAN SHOE IN OXBLOOD